古畑任三郎
【オープニング】
(暗闇の中にスポットライトが当たり、古畑任三郎がゆっくりとこちらを向く)
「えー、世の中には、
常に完璧であることを求められる人間がいます。
たとえば、スーパースター。
彼らはグラウンドの上だけでなく、
日常の全ての行動において美しく、
そして『フェア』でなければならない。
……あ、古畑です。
今回の犯人は、私が最も尊敬するアスリート。
彼はあまりに純粋で、
あまりにフェアプレイを愛するがゆえに、
完全犯罪の計画に
『ある致命的な綻び』
を残してしまいました。キーワードは、
『嘘をつかないこと』。
よろしいですか? では、ご覧ください」
【本編:犯行】
国民的スーパースターのメジャーリーガー・イチロー。
彼には、誰にも言えない秘密があった。
異母兄の向島音吉(むこうじま おときち)が、
悪質な男から脅迫を受けていたのだ。
その夜、ホテルの地下駐車場。
イチローは兄を救うため、脅迫者を呼び出していた。
「これ以上、兄を苦しめるのはやめてくれませんか」
男は下品に笑った。
「スターの兄貴が前科持ちなんて世間にバレたら困るだろ? もっと金を積んでもらおうか」
これ以上の交渉は無意味だと悟ったイチローは、
あらかじめ用意していた毒物を男に突きつけ、
自決を装うよう仕向けた。
しかし揉み合いになり、男は毒を飲んで死亡した。
時計の針は午後11時。
イチローは、完璧なバッティングフォームのように
無駄のない動きで偽装工作を始めた。
男の死体を盗難車の中に隠し、自殺に見せかける。
しかし、彼は決して
「他人に罪をなすりつけるような嘘の証拠」
は作らなかった。フェアプレイ精神が、
卑劣な工作を許さなかったのだ。
彼はホテルの自室に戻ると、
いつものようにバットを磨き始めた。
その表情は、まるで何事もなかったかのように静かだった。
【捜査】
翌朝、ホテルの地下駐車場で死体が発見され、
古畑任三郎と今泉慎太郎が現場にやってきた。
偶然にも、向島がイチローのサポート
のために同じホテルに滞在していたことから、
古畑はイチローと対面することになる。
「はじめまして、イチローさん。私、大ファンなんです」
古畑は感激しながら、イチローにサインをねだった。
「ありがとうございます、古畑さん」
イチローは丁寧にサインに応じ、
まっすぐな目で古畑を見つめた。
その佇まいには、一点の曇りもなかった。
古畑は現場の状況を説明しながら、
イチローの様子を観察する。
「被害者の男は、昨夜11時頃に亡くなったようです。
イチローさん、その時間、
あなたは何をされていましたか?」
「部屋で一人、明日の試合に向けてバットを磨いていました。アリバイを証明してくれる人はいません」
イチローは一切の淀みなく、堂々と答えた。
身代わりを立てることも、偽のアリバイを語ることも、
彼のプライドが許さなかったのだ。
「そうですか……」
古畑は少し寂しそうな表情を浮かべた。
「あなたは本当に、嘘をつけない方のようだ」
【解決】
その日の夕方。
試合を終えたイチローがホテルの部屋に戻ると、
暗闇の中に古畑が静かに立っていた。
「素晴らしい試合でした、イチローさん」
「ありがとうございます。それで、僕に何か御用ですか?」
古畑はゆっくりと歩み寄り、
イチローの机の上に置かれた木製のバットに触れた。
「イチローさん。被害者の男のポケットから、
あるものが手つかずのまま見つかりました。
高級な『ミントのタブレット(お菓子)』です。
男は死ぬ直前、それを一粒口に含んでいました。
解剖の結果、男の口内からはミントの成分が検出されています」
「それが僕と何の関係があるんですか?」
「男の遺体が遺棄されていた盗難車の車内を調べたところ、
どこを探しても、そのミントの強烈な香りが残っていなかったんです。
普通、狭い車内でミント入りの菓子を噛めば、しばらくは独特の香りが空間にこもるはずだ。
つまり、男が殺されたのは、あの車内ではない」
古畑はバットを手に取り、その先端に鼻を近づけた。
「犯人は、男を別の場所で殺害し、遺体を車まで運んだ。
その際、遺体を抱きかかえた犯人の衣類や『持ち物』に、
男の吐息から出たミントの香りが移ってしまった可能性が
高い。……イチローさん。あなたが昨夜、
11時からずーっと部屋で磨いていたという、
そのバット。今朝、私がサインをいただいた時、
このバットからは確かにうっすらと、
爽やかなミントの香りがしていましたよ」
イチローの眉が、ピクリと動いた。
「昨夜、あなたが遺体を運ぶ際、
バットケースを近くに置いていたか、
あるいはバットそのものに男の息がかかる距離にいた。
あなたは今朝、私が部屋を訪ねてくる直前まで、
必死にバットを磨いていた。
それは試合のためではない。
バットに染みついてしまった
『ミントの香り』
を、摩擦で消そうとしていたからだ。違いますか?」
イチローは、深く、長いため息をついた。
そして、バットを見つめながら静かに言った。
「……さすがですね、古畑さん。
僕はグラウンドでも日常でも、完璧でありたかった。
フェンス際の打球を追うように、
必死に証拠を消そうと磨き続けましたが……球場の風まではコントロールできなかったようだ」
イチローは潔く負けを認め、古畑に向かって小さく一礼した。【エンディング】
(再び、暗闇の中に立つ古畑任三郎)
「完璧な人間ほど、自分のスタイルを崩せないものです。
彼は嘘をつかないという
『フェア』
なルールで私と戦おうとした。
だからこそ、自分の残した小さな香りに気づくのが
遅れてしまった。
……実に美しい敗者でした。
あ、そうそう。彼からいただいたサインですが、
今泉くんに自慢したら
『僕にもイチローのサインください』
って、自分の帽子にマジックで書いてくれと言われました。
もちろん、お断りしましたよ。では、またお会いしましょう」(パチンと指を鳴らすと、画面が暗転する)
【オープニング】
(暗闇の中にスポットライトが当たり、古畑任三郎がゆっくりとこちらを向く)
「えー、世の中には、
常に完璧であることを求められる人間がいます。
たとえば、スーパースター。
彼らはグラウンドの上だけでなく、
日常の全ての行動において美しく、
そして『フェア』でなければならない。
……あ、古畑です。
今回の犯人は、私が最も尊敬するアスリート。
彼はあまりに純粋で、
あまりにフェアプレイを愛するがゆえに、
完全犯罪の計画に
『ある致命的な綻び』
を残してしまいました。キーワードは、
『嘘をつかないこと』。
よろしいですか? では、ご覧ください」
【本編:犯行】
国民的スーパースターのメジャーリーガー・イチロー。
彼には、誰にも言えない秘密があった。
異母兄の向島音吉(むこうじま おときち)が、
悪質な男から脅迫を受けていたのだ。
その夜、ホテルの地下駐車場。
イチローは兄を救うため、脅迫者を呼び出していた。
「これ以上、兄を苦しめるのはやめてくれませんか」
男は下品に笑った。
「スターの兄貴が前科持ちなんて世間にバレたら困るだろ? もっと金を積んでもらおうか」
これ以上の交渉は無意味だと悟ったイチローは、
あらかじめ用意していた毒物を男に突きつけ、
自決を装うよう仕向けた。
しかし揉み合いになり、男は毒を飲んで死亡した。
時計の針は午後11時。
イチローは、完璧なバッティングフォームのように
無駄のない動きで偽装工作を始めた。
男の死体を盗難車の中に隠し、自殺に見せかける。
しかし、彼は決して
「他人に罪をなすりつけるような嘘の証拠」
は作らなかった。フェアプレイ精神が、
卑劣な工作を許さなかったのだ。
彼はホテルの自室に戻ると、
いつものようにバットを磨き始めた。
その表情は、まるで何事もなかったかのように静かだった。
【捜査】
翌朝、ホテルの地下駐車場で死体が発見され、
古畑任三郎と今泉慎太郎が現場にやってきた。
偶然にも、向島がイチローのサポート
のために同じホテルに滞在していたことから、
古畑はイチローと対面することになる。
「はじめまして、イチローさん。私、大ファンなんです」
古畑は感激しながら、イチローにサインをねだった。
「ありがとうございます、古畑さん」
イチローは丁寧にサインに応じ、
まっすぐな目で古畑を見つめた。
その佇まいには、一点の曇りもなかった。
古畑は現場の状況を説明しながら、
イチローの様子を観察する。
「被害者の男は、昨夜11時頃に亡くなったようです。
イチローさん、その時間、
あなたは何をされていましたか?」
「部屋で一人、明日の試合に向けてバットを磨いていました。アリバイを証明してくれる人はいません」
イチローは一切の淀みなく、堂々と答えた。
身代わりを立てることも、偽のアリバイを語ることも、
彼のプライドが許さなかったのだ。
「そうですか……」
古畑は少し寂しそうな表情を浮かべた。
「あなたは本当に、嘘をつけない方のようだ」
【解決】
その日の夕方。
試合を終えたイチローがホテルの部屋に戻ると、
暗闇の中に古畑が静かに立っていた。
「素晴らしい試合でした、イチローさん」
「ありがとうございます。それで、僕に何か御用ですか?」
古畑はゆっくりと歩み寄り、
イチローの机の上に置かれた木製のバットに触れた。
「イチローさん。被害者の男のポケットから、
あるものが手つかずのまま見つかりました。
高級な『ミントのタブレット(お菓子)』です。
男は死ぬ直前、それを一粒口に含んでいました。
解剖の結果、男の口内からはミントの成分が検出されています」
「それが僕と何の関係があるんですか?」
「男の遺体が遺棄されていた盗難車の車内を調べたところ、
どこを探しても、そのミントの強烈な香りが残っていなかったんです。
普通、狭い車内でミント入りの菓子を噛めば、しばらくは独特の香りが空間にこもるはずだ。
つまり、男が殺されたのは、あの車内ではない」
古畑はバットを手に取り、その先端に鼻を近づけた。
「犯人は、男を別の場所で殺害し、遺体を車まで運んだ。
その際、遺体を抱きかかえた犯人の衣類や『持ち物』に、
男の吐息から出たミントの香りが移ってしまった可能性が
高い。……イチローさん。あなたが昨夜、
11時からずーっと部屋で磨いていたという、
そのバット。今朝、私がサインをいただいた時、
このバットからは確かにうっすらと、
爽やかなミントの香りがしていましたよ」
イチローの眉が、ピクリと動いた。
「昨夜、あなたが遺体を運ぶ際、
バットケースを近くに置いていたか、
あるいはバットそのものに男の息がかかる距離にいた。
あなたは今朝、私が部屋を訪ねてくる直前まで、
必死にバットを磨いていた。
それは試合のためではない。
バットに染みついてしまった
『ミントの香り』
を、摩擦で消そうとしていたからだ。違いますか?」
イチローは、深く、長いため息をついた。
そして、バットを見つめながら静かに言った。
「……さすがですね、古畑さん。
僕はグラウンドでも日常でも、完璧でありたかった。
フェンス際の打球を追うように、
必死に証拠を消そうと磨き続けましたが……球場の風まではコントロールできなかったようだ」
イチローは潔く負けを認め、古畑に向かって小さく一礼した。【エンディング】
(再び、暗闇の中に立つ古畑任三郎)
「完璧な人間ほど、自分のスタイルを崩せないものです。
彼は嘘をつかないという
『フェア』
なルールで私と戦おうとした。
だからこそ、自分の残した小さな香りに気づくのが
遅れてしまった。
……実に美しい敗者でした。
あ、そうそう。彼からいただいたサインですが、
今泉くんに自慢したら
『僕にもイチローのサインください』
って、自分の帽子にマジックで書いてくれと言われました。
もちろん、お断りしましたよ。では、またお会いしましょう」(パチンと指を鳴らすと、画面が暗転する)