古畑任三郎
【オープニング】(暗闇の中にスポットライトが当たり、
古畑任三郎がゆっくりとこちらを向く)
「えー、世の中には、絶対に嘘をつけない職業というものが
ございます。たとえば、お医者さん。
それから、裁判官。そして……『音』を扱うお仕事の方々。 彼らは耳が良すぎるがゆえに、
普通の人なら聞き流してしまうような小さな矛盾に、
ついつい反応してしまう。
……あ、古畑です。
今回の犯人も、まさにその罠にハマってしまいました。
キーワードは、『絶対音感』。
よろしいですか? では、始まりです」
【本編:犯行】
人気ピアニスト・御園生 薫(みそのう かおる)
の個人スタジオ。完璧主義者である御園生は、
専属調律師の峰岸 徹(みねぎし とおる)に、
激しい叱責を浴びせていた。
「何度言ったらわかるんだ! このピアノのミの音が、
ほんのわずかに狂っている!
明日のリサイタルは、別の調律師を呼ぶ。
お前はクビだ」
長年、影のように御園生を支えてきた峰岸のプライドは
ズタズタに引き裂かれた。
激高した峰岸は、そばにあった重厚な灰皿を掴み、
御園生の頭部を背後から殴りつけた。
御園生は即死した。時計の針は午後8時。
峰岸は冷酷なまでに冷静だった。
彼はあらかじめ用意していた計画を実行に移す。
まず、御園生の遺体を床に転がし、
近くの棚から高価なアンティークの懐中時計を取り出した。
それを午後8時10分に進め、
床に叩きつけてガラスを割る。
衝撃で時計の針はその時刻で止まった。
次に、スタジオの窓ガラスを内側から割り、
強盗の侵入を偽装した。
そして、自分が午後8時から9時まで近くの居酒屋にいたというアリバイを作るため、急いでスタジオを後にした。
防犯カメラを避け、裏口から立ち去る峰岸の足元に、
割れた窓ガラスの破片が
「シャラン」
と冷たい音を立てて転がった。
【捜査】
翌朝、現場に古畑任三郎と部下の今泉慎太郎が到着した。
今泉は割れた懐中時計を見て、得意げに言った。
「古畑さん! 犯行時刻はズバリ、
時計の止まっている午後8時10分です!
被害者は強盗と揉み合って、時計を落としたんですよ」
「今泉くん、君は相変わらず単純だねぇ……」
古畑は現場をうろうろしながら、
落ちているガラスの破片を虫眼鏡でのぞき込んでいる。
そこへ、第一発見者として呼ばれた調律師の峰岸が、
いかにもショックを受けた様子で現れた。
「御園生先生がこんなことになるなんて……。
私は昨日の夜8時から9時まで、
駅前の居酒屋で店員と話をしていました。
アリバイならあります」
古畑は峰岸に近づき、独特のイントネーションで語りかけた。「ほお、調律師の峰岸さんですか。
御園生さんのピアノは、いつもあなたが?」
「ええ。先生の耳は繊細でしたから、
私にしか調律させませんでした」
「素晴らしい。実はね、ちょっと気になることがあるんです。 犯人は窓を破って入った強盗ということになっていますが……妙なんですよ。
今泉くん、そこにあるピアノ、
ちょっと弾いてみてくれませんか」
今泉が適当に鍵盤を叩く。
ジャーン、と音が響く。
「峰岸さん、今の音、どうです?」
と古畑。
「……素晴らしいスタインウェイですが、
少し高音の調律が狂っていますね。直したくてウズウズします」峰岸はプロとしての顔を覗かせた。
「さすがだ。耳が良いんですねぇ。
実はね、現場に落ちていた懐中時計なんですが……あれ、
午後8時10分で止まっていたでしょう? でもね、
被害者の胃の内容物の消化状態からすると、
亡くなったのは午後8時ジャストくらいなんです。
つまり、犯人はアリバイ作りのために、
わざと時計を進めて壊した可能性がある」
峰岸は動じない。
「なるほど。ですが、私には関係のないことです。
私は8時には店にいましたから」
「そう、そこなんです。もし犯人が8時にここにいて、
時計を細工したとしたら、
そのあと急いで逃げ出したはずだ。……
峰岸さん、あなたは昨日、
この部屋の窓ガラスが割れる音を聞いていませんよね?」
「当然です。私は店にいたんですから」
古畑はニヤリと笑った。
「ですよねぇ。……では、どうしてあなたは先ほど、
警察がまだ一言も言っていないのに、
『窓ガラスが割られた』
ということを知っていたんですか?」
峰岸の顔が引きつった。
「それは……現場を見れば、ガラスが散らばっているくらい、誰でもわかります!」
「いいえ。あなたが部屋に入ってきたとき、
割れた窓の手前には、
大柄な今泉くんと私が立ちはだかっていて、
足元は死角になって見えなかったはずだ。
それなのに、あなたは部屋に入るなり、
窓の方を気にしていた」
「……ただの勘です。
それだけで私を疑うのは無理がありますよ、古畑さん」
「確かに、これだけではただの推測です。
でもね、峰岸さん。あなたが
『あの時間、ここにいた』
という決定的な証拠が、もう一つあるんです」
【解決】
古畑は懐から、自分の警察手帳を取り出し、
それを峰岸の目の前でパタパタと煽った。
「峰岸さん、あなたは素晴らしいお耳をお持ちだ。
居酒屋の店員さんも、あなたが
『店のBGMの有線放送が、ほんの少し半音ズレている』
と指摘したことをよく覚えていました。
あなたの絶対音感は本物だ」
「それがどうしたんです」
「昨日、あなたが裏口から逃げる際、
防犯カメラには映りませんでしたが、
裏のマンションの住人が
『夜8時頃、ガラスが割れるような綺麗な音がした』
と証言しています。
犯人がガラスの破片を踏んだ音です」
「だから、私は店に……」
「ここからが本題です。
実は、被害者の御園生さんは、最近スタジオの防犯対策
として、特殊な防犯ガラスに一新していました。
このガラス、割れると普通のガラスとは違う、
非常に高い特殊な周波数の音が鳴る仕組みに
なっているんです。……今泉くん、
実験のアレ、持ってきて」
今泉が、現場から回収した窓ガラスの破片が入った袋を持ってきた。
「峰岸さん。このガラスが割れる音を今から再現します。
もし、あなたが昨日ここにいなかったのなら、
この音を聞くのはこれが『初めて』のはずだ。……
いいですね?」
古畑はピンセットでガラスの破片を一枚取り出し、
床の鉄板の上に落とした。
「チリーン……」
澄んだ、しかしどこか奇妙に高い音が響く。
「さあ、峰岸さん。今、このガラスが立てた音の
『音程』
は、ドレミで言うと何ですか?」
峰岸はフッと鼻で笑った。
「バカバカしい。そんなの、
唐突に言われて分かるわけが……」
「おや、おかしいですねぇ」
古畑は髪をかき上げ、峰岸をじっと見つめた。
「あなたは、昨日の夜9時過ぎ、
クビを言い渡された腹いせに同僚の調律師に電話をかけて、こう愚痴を言ったそうですね。
『御園生の奴、新しい防犯ガラスに変えやがって。
ファのシャープの変な音でガラスが割れやがった。
耳障りで仕方がねえ』……と」
峰岸が息を呑む。
「同僚の方は、あなたの絶対音感の凄さに感心して、
その言葉をハッキリ覚えていました。……峰岸さん。
あなたが昨日、この部屋に一度も来ていないのなら、
どうしてこのガラスが割れたときの音程が
『ファのシャープ』だと知っていたんですか?
このガラスは、昨日初めて割られたというのに」
峰岸は天を仰いだ。自分の良すぎる耳が、
自分の犯行を完璧に記録し、記憶してしまっていたのだ。
「……先生の言う通りだ。私は耳が良すぎた。
……だが、あの男の調律だけは、間違っていなかったはずなんだ……」
峰岸は力なく両手を差し出し、今泉に連行されていった。
【エンディング】
(再び、暗闇の中に立つ古畑任三郎)
「プロフェッショナルというのは、時に自分の技術に溺れてしまうものです。
彼にとって『音』は人生そのものでした。
だからこそ、自分の耳を騙すことができなかった。
……切ないですねぇ。あ、そうそう。
さっき私が床に落としたガラスの音ですが……本当は
『ソのフラッシュ(フラット)』
だったそうです。
私にはさっぱり分かりませんでしたがね。
では、またお会いしましょう」
(パチンと指を鳴らすと、画面が暗転する)
【オープニング】(暗闇の中にスポットライトが当たり、
古畑任三郎がゆっくりとこちらを向く)
「えー、世の中には、絶対に嘘をつけない職業というものが
ございます。たとえば、お医者さん。
それから、裁判官。そして……『音』を扱うお仕事の方々。 彼らは耳が良すぎるがゆえに、
普通の人なら聞き流してしまうような小さな矛盾に、
ついつい反応してしまう。
……あ、古畑です。
今回の犯人も、まさにその罠にハマってしまいました。
キーワードは、『絶対音感』。
よろしいですか? では、始まりです」
【本編:犯行】
人気ピアニスト・御園生 薫(みそのう かおる)
の個人スタジオ。完璧主義者である御園生は、
専属調律師の峰岸 徹(みねぎし とおる)に、
激しい叱責を浴びせていた。
「何度言ったらわかるんだ! このピアノのミの音が、
ほんのわずかに狂っている!
明日のリサイタルは、別の調律師を呼ぶ。
お前はクビだ」
長年、影のように御園生を支えてきた峰岸のプライドは
ズタズタに引き裂かれた。
激高した峰岸は、そばにあった重厚な灰皿を掴み、
御園生の頭部を背後から殴りつけた。
御園生は即死した。時計の針は午後8時。
峰岸は冷酷なまでに冷静だった。
彼はあらかじめ用意していた計画を実行に移す。
まず、御園生の遺体を床に転がし、
近くの棚から高価なアンティークの懐中時計を取り出した。
それを午後8時10分に進め、
床に叩きつけてガラスを割る。
衝撃で時計の針はその時刻で止まった。
次に、スタジオの窓ガラスを内側から割り、
強盗の侵入を偽装した。
そして、自分が午後8時から9時まで近くの居酒屋にいたというアリバイを作るため、急いでスタジオを後にした。
防犯カメラを避け、裏口から立ち去る峰岸の足元に、
割れた窓ガラスの破片が
「シャラン」
と冷たい音を立てて転がった。
【捜査】
翌朝、現場に古畑任三郎と部下の今泉慎太郎が到着した。
今泉は割れた懐中時計を見て、得意げに言った。
「古畑さん! 犯行時刻はズバリ、
時計の止まっている午後8時10分です!
被害者は強盗と揉み合って、時計を落としたんですよ」
「今泉くん、君は相変わらず単純だねぇ……」
古畑は現場をうろうろしながら、
落ちているガラスの破片を虫眼鏡でのぞき込んでいる。
そこへ、第一発見者として呼ばれた調律師の峰岸が、
いかにもショックを受けた様子で現れた。
「御園生先生がこんなことになるなんて……。
私は昨日の夜8時から9時まで、
駅前の居酒屋で店員と話をしていました。
アリバイならあります」
古畑は峰岸に近づき、独特のイントネーションで語りかけた。「ほお、調律師の峰岸さんですか。
御園生さんのピアノは、いつもあなたが?」
「ええ。先生の耳は繊細でしたから、
私にしか調律させませんでした」
「素晴らしい。実はね、ちょっと気になることがあるんです。 犯人は窓を破って入った強盗ということになっていますが……妙なんですよ。
今泉くん、そこにあるピアノ、
ちょっと弾いてみてくれませんか」
今泉が適当に鍵盤を叩く。
ジャーン、と音が響く。
「峰岸さん、今の音、どうです?」
と古畑。
「……素晴らしいスタインウェイですが、
少し高音の調律が狂っていますね。直したくてウズウズします」峰岸はプロとしての顔を覗かせた。
「さすがだ。耳が良いんですねぇ。
実はね、現場に落ちていた懐中時計なんですが……あれ、
午後8時10分で止まっていたでしょう? でもね、
被害者の胃の内容物の消化状態からすると、
亡くなったのは午後8時ジャストくらいなんです。
つまり、犯人はアリバイ作りのために、
わざと時計を進めて壊した可能性がある」
峰岸は動じない。
「なるほど。ですが、私には関係のないことです。
私は8時には店にいましたから」
「そう、そこなんです。もし犯人が8時にここにいて、
時計を細工したとしたら、
そのあと急いで逃げ出したはずだ。……
峰岸さん、あなたは昨日、
この部屋の窓ガラスが割れる音を聞いていませんよね?」
「当然です。私は店にいたんですから」
古畑はニヤリと笑った。
「ですよねぇ。……では、どうしてあなたは先ほど、
警察がまだ一言も言っていないのに、
『窓ガラスが割られた』
ということを知っていたんですか?」
峰岸の顔が引きつった。
「それは……現場を見れば、ガラスが散らばっているくらい、誰でもわかります!」
「いいえ。あなたが部屋に入ってきたとき、
割れた窓の手前には、
大柄な今泉くんと私が立ちはだかっていて、
足元は死角になって見えなかったはずだ。
それなのに、あなたは部屋に入るなり、
窓の方を気にしていた」
「……ただの勘です。
それだけで私を疑うのは無理がありますよ、古畑さん」
「確かに、これだけではただの推測です。
でもね、峰岸さん。あなたが
『あの時間、ここにいた』
という決定的な証拠が、もう一つあるんです」
【解決】
古畑は懐から、自分の警察手帳を取り出し、
それを峰岸の目の前でパタパタと煽った。
「峰岸さん、あなたは素晴らしいお耳をお持ちだ。
居酒屋の店員さんも、あなたが
『店のBGMの有線放送が、ほんの少し半音ズレている』
と指摘したことをよく覚えていました。
あなたの絶対音感は本物だ」
「それがどうしたんです」
「昨日、あなたが裏口から逃げる際、
防犯カメラには映りませんでしたが、
裏のマンションの住人が
『夜8時頃、ガラスが割れるような綺麗な音がした』
と証言しています。
犯人がガラスの破片を踏んだ音です」
「だから、私は店に……」
「ここからが本題です。
実は、被害者の御園生さんは、最近スタジオの防犯対策
として、特殊な防犯ガラスに一新していました。
このガラス、割れると普通のガラスとは違う、
非常に高い特殊な周波数の音が鳴る仕組みに
なっているんです。……今泉くん、
実験のアレ、持ってきて」
今泉が、現場から回収した窓ガラスの破片が入った袋を持ってきた。
「峰岸さん。このガラスが割れる音を今から再現します。
もし、あなたが昨日ここにいなかったのなら、
この音を聞くのはこれが『初めて』のはずだ。……
いいですね?」
古畑はピンセットでガラスの破片を一枚取り出し、
床の鉄板の上に落とした。
「チリーン……」
澄んだ、しかしどこか奇妙に高い音が響く。
「さあ、峰岸さん。今、このガラスが立てた音の
『音程』
は、ドレミで言うと何ですか?」
峰岸はフッと鼻で笑った。
「バカバカしい。そんなの、
唐突に言われて分かるわけが……」
「おや、おかしいですねぇ」
古畑は髪をかき上げ、峰岸をじっと見つめた。
「あなたは、昨日の夜9時過ぎ、
クビを言い渡された腹いせに同僚の調律師に電話をかけて、こう愚痴を言ったそうですね。
『御園生の奴、新しい防犯ガラスに変えやがって。
ファのシャープの変な音でガラスが割れやがった。
耳障りで仕方がねえ』……と」
峰岸が息を呑む。
「同僚の方は、あなたの絶対音感の凄さに感心して、
その言葉をハッキリ覚えていました。……峰岸さん。
あなたが昨日、この部屋に一度も来ていないのなら、
どうしてこのガラスが割れたときの音程が
『ファのシャープ』だと知っていたんですか?
このガラスは、昨日初めて割られたというのに」
峰岸は天を仰いだ。自分の良すぎる耳が、
自分の犯行を完璧に記録し、記憶してしまっていたのだ。
「……先生の言う通りだ。私は耳が良すぎた。
……だが、あの男の調律だけは、間違っていなかったはずなんだ……」
峰岸は力なく両手を差し出し、今泉に連行されていった。
【エンディング】
(再び、暗闇の中に立つ古畑任三郎)
「プロフェッショナルというのは、時に自分の技術に溺れてしまうものです。
彼にとって『音』は人生そのものでした。
だからこそ、自分の耳を騙すことができなかった。
……切ないですねぇ。あ、そうそう。
さっき私が床に落としたガラスの音ですが……本当は
『ソのフラッシュ(フラット)』
だったそうです。
私にはさっぱり分かりませんでしたがね。
では、またお会いしましょう」
(パチンと指を鳴らすと、画面が暗転する)