「命」 命をいただくということ、そして地球の未来私たちが毎日何気なく口にしている食べ物には、本当に 「命」 があるのでしょうか。 スーパーの棚にきれいに並んだお肉や、お弁当に入っている魚、 色鮮やかな野菜たち。 現代の私たちは、あまりにも便利で清潔な環境にいるため、それらを 「工場で作られた製品」 のように錯覚してしまうことがあります。 しかし、これらはすべて、少し前まで私たちと同じようにこの世界で生きていた、かけがえのない命そのものです。 牛や豚、鶏は、温かい血を巡らせて呼吸をしていました。 魚は広い海や川を、冷たい水の中で力強く泳ぎ回っていました。 野菜や果物、お米だって、大地の恵みを吸い上げて一生懸命に成長していた植物の命です。 私たちは、自分たちの命を維持するために、他の生き物たちの命を奪い、そのエネルギーを体に分けてもらっています。 だからこそ、日本では理屈ではなく心で 「いただきます」 という言葉を口にしてきました。これは、料理を作ってくれた人への感謝だけでなく、 「あなたの命を私の命としていただきます」 という、自然や生き物への深い敬意が込められた挨拶なのです。それなのに、今の私たちはどうでしょうか。 「お腹がいっぱいだから」「少し苦手な味だから」 という理由で、簡単に食べ残して捨ててはいないでしょうか。食べ残しを捨てるということは、その生き物が持っていた、たった一度きりの大切な命を 「無駄なもの」 として処理することと同じです。人間の身勝手な都合でゴミ箱に放り込まれるために、生まれてきた命など一つもあるはずがありません。さらに、私たちが向き合うべき問題は食べ残しだけにとどまりません。私たちが何気なく使い、適切に処理しなかったプラスチックゴミが、今この瞬間も街から川へ、そして海へと流れ着いています。海に流出したプラスチックは、波や紫外線によって細かく砕け、目に見えないほど小さな 「マイクロプラスチック」 へと姿を変えます Caucasus Global 海に生きる魚たちは、それをエサと間違えてお腹いっぱいに食べてしまうのです。プラスチックは消化されず、含まれる有害な化学物質が魚たちの体内に蓄積されていきます Global Global 生き物たちの命を脅かす汚染を引き起こしているのは、他でもない私たち人間です。そして、恐ろしい事実はそれだけではありません。プラスチックを体内に溜め込んだ魚を、最終的に水揚げして口にするのは、私たち人間に他ならないのです。自然の命をないがしろにし、環境を汚したツケは、巡り巡ってすべて私たちの体に返ってきます。私たちが生きるということは、地球上のすべての命、そして自然の循環と深くつながっているということです。今日のご飯を食べるとき、目の前の料理がかつて持っていた 「命」 のこと、それからその先にある海や地球の未来について、少しだけ考えてみませんか。