渡辺容子ウェブログ

2006年03月20日

感謝と祈り

 

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 暗く沈み、魂さえくたびれ果てたとき
 悩みを抱え、もうダメかもしれないと思ったとき
 そんなときこそ、立ち止まり、静かに待とう
 あなたが姿をあらわし、側にすわってくれるのを

 あなたの導きがあるから、山の頂にたどり着ける
 あなたの導きがあるから、荒ぶる海も渡っていける
 あなたに支えられるたび、強くなれと、心に誓う
 あなたがいるから、どんなことも乗り越えていける・・・・・・

 
 荒川静香選手がエキシビションで滑走した曲を、超訳してみた。

 手許にあるケルティック・ウーマンのアルバムが輸入盤のため、歌詞カードがなく、かなり怪しげではあるのだが、大筋はきっとこんな感じだろう。
 


 この「You Raise Me Up」は、フリーに使用された「トゥーランドット」とともに今、すごい売れ行きのようだ。
 かくいうわたしも早速CDを購入。
 日課のジョギング中、この二曲がiPodから聞こえてくると、見慣れたコースがなぜか一瞬にして白い氷の世界に一変して感じられるほど、依然トリノの余韻が続いている。
 

 ・・・ふふっ、スケート靴を履いていたら、ここらへんで「イナ」決めてやるんだけどなー。
 なーんて、ドーパミンの影響もあってか、走りながら考えることもある。友人から、「お願いだから、走りながらイナはやらないでね」といった内容のメールが複数届いている事実が、いかに今わたしが「イナ」に熱くなっているかを物語っているかもしれない。ついでに白状すれば、母にも「やめておきなさい!」と釘を刺されている。
 


 もし夢が叶うなら、静香ちゃんのように氷上を舞ってみたい。
 こう思うのはわたしばかりでないらしく、全国のアイスリンクがオリンピック以降、大変賑わっているという。宴会芸に採り入れよう、とトレーニングを開始したサラリーマンも、ひょっとするといるかもしれない。

 わたしだったら、アイスリンクの風景、それもスタンドを三百六十度、ゆっくりとパンして撮影した映像を大型プロジェクターで壁に映し出し、その前でえびぞりを決めてみたい。
 仲間に扇風機で風を送ってもらえば完璧だ。静止したままでも疾走感を演出できるだろう。宴会のメダルならこれで確実に狙えそうだ。
 


 ・・・と、宴会芸に思いをはせてしまうほど、静香ちゃんに萌えてる渡辺だ。彼女の魅力について思うままに感想を綴れば、二、三百枚は軽くイケそうだ。だが、ここでは「イナバウアー」、これ一点に絞って、少し書いてみたい。というのも、静香ちゃんが高い山の頂を征した最大の勝因は、やはり「イナバウアー」。これに尽きると思うからだ。
 


 ご存じのように、「イナバウアー」は今の採点法ではポイントが加算されない。メダルを狙うのであれば、点を少しでも稼げる技を採り入れたほうが賢明だ。なのに彼女は、「自分らしさ」にこだわり、「イナバウアー」をプログラムに組み入れ、結果、これが世界中の人々に感動を与えた。審判には評価されない技が、世界中の人々に評価されたのだ。
 少し緊張気味に見えた彼女が「イナ」のときは、あの辛そうな体勢にもかかわらず実に幸せそうに微笑んでいたっけ・・・・・。
 


 学校で、会社で、常に何かにせき立てられ、「自分らしさ」を埋没させてしまっている人たち、いや、正確にいうなら、埋没させなければ生きていくのが難しくなってしまった世の中で頑張って生き抜いている人たちに、彼女は大きな福音をもたらしたように思う。
 自分らしく生きる。
 とてもシンプルなことなのに、皆、いつの間にか忘れてしまっていたのかもしれない。諦めてしまった人も少なくないだろう。
 

 そんな矢先の「イナバウアー」だ。
 飛ぶように売れるCDの数が、目を覚ました人たちの「希望」を象徴している気がする。なんてったって感動は、眠っていた魂を揺り起こす合法的にして最強の覚醒剤だ。
 


 と、静香ちゃんの功績は計り知れないが、アマチュア・スポーツの振興に長年に渡り貢献してきた企業、特にスケートの場合は西武、ダイエーのことも忘れてはならないように思う。
 いずれも大人相手に商売して得た利益を、子供たちの「未来」のために使い、本当の意味での社会貢献をやってのけた企業の先駆けといっていい。
 もし目先の利益を追求し、宣伝効果だけが目的であったなら、大した利益が見込めるとも思えないアイスリンクをわざわざ造ったりしなかっただろう。


 そういう意味では、この二社は「イナバウアー」を滑った企業の代表格といえそうだ。
 最近ではこうした企業が軒並み苦戦を強いられ、反対に、子供、若者層に消費を強いる分野の産業が勢いを持ちつつあるのが、何とも皮肉な気がしてやり切れない。
 


 わたしが子供の頃、大人たちは皆、「無駄遣いをしなさんな」といってくれたし、実際、目を光らせてくれていたものだ。
「レコードや本はこれで買いなさい。だから、パパとママに貰ったお小遣いは大事に取っておくんですよォ」
 握手するとみせかけていつもお札をそっと握らせてくれたのは、祖母だった。そのお金で、わたしは本とレコード、そして原稿用紙を買い、大人になってから小説を書くようになったのだから、祖母はまさに西武、ダイエーにも匹敵する渡辺容子のスポンサーだった。
 


 冒頭に「You Raise Me Up」の歌詞を掲げたが、「あなた」のところに、これを読んでくれているあなたはいったい誰の顔を思い浮かべるのだろう? 家族。
 恋人。
 片思い中の相手。
 恩師。
 友達。
 神。
 それとも自分自身?
 

 わたしは一ダースくらいの人たちを思い浮かべたけれど、そのひとりが先に書いた今は亡き祖母の顔だ。
 無駄遣いするな、という小言も、本を買え、という助言も、孫の将来を見据えてくれていたからこその、突き詰めれば「愛情」だった。
 


 祖母ではないが、子供たちを育てるには、十年後、二十年後の将来を視野に入れた援助と指導が、モノをいう。

 ところが、今の社会は逆をいってしまっているような気がしてならない。
 本来、子供、そして自分よりも若い人たちに知恵を授け、導いてあげなければいけない大人たちが、導くことを忘れ、自分たちの利益へと誘導することに腐心しているように思えてならない。
 


 十年後、三十年後、「あなたの導きのおかげで山の頂にたどり着けた」と、そういってもらえる大人が、果たしてこの日本にどのくらいいるだろう?
 


 知恵を授ける。この中には、これまで引き継がれてきた文化、伝統の継承も含まれているはずだ。

 バトンを渡すように、次の世代に、美しいもの、感動するものを伝えていく。

 これも我々大人の大事な使命だろう。
 


 ここ数年、若い人の間で俳句、川柳が静かなブームになっている。企業が賞を設け、作品を募集しているのも一役買っているのかもしれない。ここまでは大変結構な話だが、ネット上では、受賞作が「横書き」で発表されているケースが大半だ。
 小野小町や清少納言が見たら、いったい何というだろう。
「あらァ、横書きにすると何だか『英語』っぽくて、すっごい素敵。コマチ、萌えまーす!」
 なーんて・・・・・・
 間違ってもいわないよなぁ。あ、与謝野晶子の反応も、ビミョ―に気になるところだ。髪振り乱して怒りそうな気がするけど、どうでしょ?

 このまま日本の活字文化は、IT化に飲み込まれる形で、横書きに移行してしまうのだろうか。ネット社会に「縦書き」は不要のスタイルなのか?
 
 最近、ずっとこれを考えている。
 
 三十年後、婆さんになったわたしは、近所の子供をつかまえちゃ「昔はね、本も新聞も縦書きだったんだけどねぇ」と、遠い目をして語っているのだろうか。

 

 ・・・というわけで、わたし渡辺容子もイナバウアーを滑る境地で、本日より、縦書きブログを始めることにした。

 挑戦というより、少し気障にいわせてもらえば、これは「祈り」なのだ。
 うん、祈りなんだよ。

投稿者 watanabe : 10:43

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