2011年07月06日

江戸時代の小野妹子像

七月のタイムトラベル「難波津から小野妹子が旅だった日」はお楽しみいただけましたでしょうか。ある読者の方からは「今回の記事、適度な深さの記事で、おもしろく読ませて頂きました。小野一族の池坊家との繋がりもまったく知らない情報でした」とのご感想をいただいております。編集子も、実は、この原稿を読むまでは「遣隋使で、名前に子が付いているが女子ではない」程度の知識しか持ちあわせていませんでした。編集で困ったのは、妹子の肖像がほとんど不明であること。ネットの画像検索を片っ端からチェックして、これなら信頼できそうな(もちろん、実像はムリとして)肖像画は二点(左記)しか見つけることができませんでした。

↑池坊いけばな資料館蔵(出典はこちら)。この肖像画は大正十三年刊の「華道家元池坊由来記」(上野啓純編)口絵にも使われている。


ジャパニーズ・ヒストリー・オーガニゼーションという英語サイトに掲載されていた肖像画。詳細不明。サムネイルに使用。

いずれの元画像も、サイズが小さいため表紙で扱うには不向き。実像にどれだけ迫っているかも不明。それならばいっそのこと、妹子を題材にした錦絵でも残っていればと、行き着いたのが「四天王寺伽藍鑑」の市川海老蔵(何かとお騒がせ十一代の、六代前)でした。早稲田大学演劇博物館デジタル・アーカイブ・コレクションに広貞作の五枚(三名)の役者絵が保存されています。折角ですからすべてお見せしましょう。


↑馬子大臣(三枡大五郎=四代目。一七九八―一八五九)

↑同

↑小野妹子(市川海老蔵=五代目。七代目市川團十郎。一七九一―一八五九)

↑赤井丸(片岡市蔵=二代目。生没年出自等不詳)

↑亀寿丸(三枡大五郎)

上演は嘉永二年(一八四九)。それよりずっと以前、宝暦七年(一七五七)に「物部守屋聖徳太子四天王寺伽藍鑑」(並木正三作)という浄瑠璃本が刊行されていることから、歌舞伎はその焼き直しだと思われます。馬子大臣というのは蘇我馬子のことでしょうか?ひょっとして聖徳太子?亀寿丸?赤井丸?それにしても幕末の妹子像、けっこう老けてます(津川)。

投稿者 tategaki : 17:21| コメント (0)| トラックバック (0)

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