2011年09月15日

中秋明月祭大阪2011 

九月十七日(土)十八日(月)の二日間にわたって「中秋明月祭大阪2011」が開催されます。会場は難波宮跡

同祭実行委員会のサイトから委員長の挨拶を左記に

中秋明月祭大阪2011実行委員会
実行委員長  曽 昇龍

 いにしえの都、史跡 難波宮で今年も「中秋明月祭大阪2011」を開催させていただくこととなりました。

 中秋明月祭の中秋は、陰暦の8月15日に明月を鑑賞する「中秋節」の意味で、中国も日本も同じ習慣を有し、月を眺めて故郷を思い、家族で名月を観賞する共通の文化となっています。

 思えば古くは徐福伝説から、魏志倭人伝での卑弥呼の記述、阿倍仲麻呂と李白、鑑真和上とその弟子たちから近代の魯迅と藤野先生にいたる中日交流の歴史は枚挙にいとまがありません。まさしく一衣帯水の国であり、両国間には数多くの魅力的な物語が生まれています。

 平成の時代となった今、この中秋節の節目に、大阪の地であらためて中国と日本のあいだの交流に新しいページを開きたいとの思いで、9月17日・18日の両日に3回目となる中秋明月祭を開催いたします。

 今年は3月11日に東日本大震災が発生し、大津波の発生、原子力発電所の事故がありました。あらためまして被災されました皆様にお見舞いと犠牲者の方のご家族に哀悼の意を表明させていただきます。われわれ実行委員会を組織する団体も独自に支援物資の輸送、義捐金の寄付、チャリティ・コンサートの開催を通じて微力ながら支援をさせていただきました。

こ の大震災の年に、「中秋明月祭大阪2011」を開催するにあたり、これまでどおり、中国の文化を中心とした中日交流の舞台、催し物、ブースの企画の他に、さらに被災者、被災地を支援できることはできないかを考え、企画させていただいています。日本の元気を力づけたい思いでいっぱいです。

 今年のテーマは人と人のふれあいの「和」です。中国語で「合」と「和」は同音(he)です。関西に住むたくさんの中国人、日本人、地域の市民の皆様が会場へ集まり、仲間になり(合)、交流を通じて新たな人と人のふれあい、出会いが生まれ(和)感動を体験していただき、あらたな物語が生まれましたらわれわれといたしましては最高の喜びです。

 皆様のご来場を心よりお待ちしております。

予定演目はこちら


【中国四川省民俗芸能】 四川省成都民族歌舞劇院

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2011年08月02日

「民都大阪の建築力」展

大阪歴史博物館では、開館10周年記念特別展「民都大阪の建築力」を開催中。平成23年7月23日(土)から9月25日(日)まで)。
詳細は、大阪歴史博物館・特別展のページで。


↑大阪城天守閣新築設計図より南北面立面図・部分(1929年〜1931年頃 大阪城天守閣蔵)
大坂城には豊臣・徳川期にそれぞれ天守が造営されたが、いずれも30〜40年で焼失してしまった。現在の天守閣は、昭和6年(1931)に市民の寄付金をもとに復興された鉄骨鉄筋コンクリート造の「永久建築」で、今年復興80周年を迎える。豊臣期の天守の忠実な復元を目指し、当時として可能な限りの学問的な考証が重ねられた。本図は、復元考証の中心人物であった大阪市建築課の古川重春による自筆図面。


↑大阪市公会堂設計競技1席 岡田信一郎案透視図(1912年 大阪市中央公会堂蔵)
株取引で巨額の財をなした岩本栄之助は、渋沢栄一を団長とする渡米実業団に参加し、アメリカの資本家が公共のために寄付をする様を視察、大阪市へ公会堂の建設資金として百万円を寄付した。その期待に応えるべく、設計にあたっては全国の第一線で活躍する建築家17名による指名設計競技が行われ、13人が期限内に応募。最年少の岡田信一郎(当時29歳)の案が一席に選ばれた。現在の公会堂はこの案をもとに、大正7年(1918)に竣工した。

(以上、大阪歴史博物館より=写真も)

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2011年07月19日

企画展「プリンス・豊臣」
秀吉の血筋は絶えたのか!?

映画公開に合わせて始まった「プリンス・豊臣」展(大阪城天守閣)は20日まで。主任学芸員の跡部さんは「展示期間があとわずかなので映画を鑑賞し、大阪城に訪れ、歴史の面白さを体感してほしい」と呼び掛けている。


↑秀吉が愛児の秀頼に宛てた書状を指す跡部さん =毎日新聞

ところで、この企画展について、十七日付け大阪日日新聞では、標題にあげた見出しで次のように報じている(以下、抜粋)。
え、ほんま!?


 豊臣秀吉の血筋はいつどのように絶えたのだろうか。いや断絶などしていないという「プリンセス・トヨトミ」の設定が史実として成り立つ余地はないだろうか−。公開中の映画「プリンセス・トヨトミ」のパンフレットに、こんな論評が載っている。映画よろしく豊臣家の末裔(まつえい)は存在する仮説を立てた論者は、大阪城天守閣の企画展「プリンス・豊臣」を担当する主任学芸員の跡部信(あとべまこと)さん(43)。映画の宣伝効果に乗じ、豊臣家の歴史の魅力を発信している。

 太閤秀吉の実子だった秀頼には一男一女があり、息子の国松は8歳で幕府によって処刑され、男子禁制の尼寺に押し込められた息女の天秀尼が37歳で世を去った1645年、秀吉の血筋は断絶する。

 この通説に対し、映画「プリンセス・トヨトミ」製作の歴史監修を務めた跡部さんは、国松の“兄弟”を史料の「細川家記」で発見したとパンフレットの論評に記述している。

 それによると、息女捕獲の翌日、幕府から若君探索の指令を受けた豊前小倉藩主の細川忠興が「御一人は十、御一人は七つ」になる2人の「秀頼様御子」を探し出せと明確に家臣に伝えている。

 そこで、跡部さんの推測では、秀頼に2人の息子がいたが、国松の処刑に対する世間の反応を見た徳川家康は同じことをもう一度決行することはできなくなり、うやむやのうちにもう1人の息子の捜索は打ち切られ、息子は国松だけだったかのように語られた。

 「ゆえにプリンセス・トヨトミは今あなたの近くにいるかもしれない」と跡部さんは映画鑑賞者の興味をそそる論を展開する一方、「プリンス・豊臣」の企画を通して秀吉と養子、実子の関わりを紹介している。

企画展「プリンス・豊臣」について、詳細はこちらで(津川)

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2011年06月30日

天神祭宵宮祭「薪能」を
船上から鑑賞

帝国ホテル大阪(大阪市北区天満橋)は現在、「天神祭宵宮祭 奉納水上薪能鑑賞プラン」を販売している。


前年の「薪能」様子(撮影:上田安彦さん)

 天神祭前日の7月24日に大阪天満宮で行われる「天神祭宵宮祭(よみやさい)」に合わせて、OAP港に係留した「天神祭船渡御列・舞台船」の一つである「能船」で「三番叟(さんばそう)」、「羽衣」、半能「石橋(しゃっきょう)・大獅子」などの演目を上演する「奉納水上薪能」。

 「薪能を船上から楽しんでもらおう」と2005年に企画されて以来、今年で6年目となる同プラン。天神祭や天満宮の歴史、天神祭などの背景を解説するボランティア「天満天神御伽(おとぎ)衆」によるセミナーや、中華料理の「ジャスミンガーデン」での夕食会、船上からの薪能鑑賞がセットになっている。併せて宿泊プランも用意する。
 同ホテル1階ロビーでは大阪指定文化財の「御迎人形」「鳳講子供神輿」の展示や、「天神祭写真コンテスト」作品展なども行っている。
 料金は、セミナー・夕食・奉納薪能鑑賞付き=1万8000円、1泊朝食付き=1室7万円。 (京橋経済新聞六月三十日付より)

八軒家かいわいマガジン:天神祭に関する記事
「江戸時代の天神祭 ちょっといい話」

「錦絵と俳句で楽しむ 大阪の川の天神祭かな」

「天神祭を錦絵で見よう」

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2011年06月29日

「浪花の映画事始め」

貴重な映像2本上映
大阪市中央区の大阪歴史博物館で7月9日午後2時から「浪花の映画事始め」と題した上映会が行われる。1930年代の懐かしい大阪の街を映した貴重な映像「大阪百景」(30分)と、1933(昭和8)年に大阪で撮影された日活のサイレント映画「僕らの弟」(春原政久監督。56分)を上映。7月23日〜9月2日に大阪・九条のシネ・ヌーヴォで開催される「浪花の映画大特集」を記念しての特別イベント。


↑市役所と御堂筋を映した「大阪百景」の一場面


↑「僕らの弟」の一場面

大阪日日新聞 六月二十八日付より抜粋=写真も)

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2011年06月23日

百四十年ぶり復活!
御霊神社の船渡御

(産経新聞 六月二十二日付けより抜粋)

水都の夏に船渡御ラッシュ…御霊神社、140年ぶり復活

 江戸時代、武士による勇壮な神事として知られた御霊(ごりょう)神社(大阪市中央区)の船渡御(ふなとぎょ)が7月15日、約140年ぶりに復活する。明治維新による武士階級の廃止で船渡御は消滅していたが、NPOや地元有志などの協力で復活が実現した。江戸期の最盛期には約5つの神社が船渡御を繰り広げていたという水都大阪に、今夏は大阪天満宮・天神祭(7月25日)、難波八阪神社(同13日)の3神社の船渡御が彩りをそえる。(袖中陽一)


↑御霊神社の船渡御を描いた江戸時代の図。淀屋橋を出発する際のにぎやかな様子がうかがえる(御霊神社提供)

 御霊神社の船渡御は安永9(1780)年に始まり、明治維新に中断されるまで約90年続いた。江戸時代、500人にも及ぶ武士らが甲冑(かっちゅう)姿で約20隻の船に乗り込んだ。その堂々とした威容は商都としては珍しく、夏の風物詩として親しまれたという。しかし、明治維新で氏子だった武士階級がなくなり船渡御も中断。武者行列だけは地元の氏子が存続させてきたが、平成7年の阪神大震災を機に武者行列も取りやめになった。

 今回、NPO「大阪城甲冑(かっちゅう)隊」の協力と地元有志らの資金援助があり、復活が実現した。御霊神社の園文夫宮司は「江戸時代の規模には及ばないが、大阪が『水の都』であることをアピールするとともに、震災や原発の問題で疲弊する東北に元気を届けたい」と語る。

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2011年06月08日

大阪城天守閣復興八十周年

大阪城天守閣復興八十周年記念プロジェクト実行委員会では、平成二十三年六月十日から十二日に大阪市公館が一般公開されるのに合わせて、大阪市公館内で「大阪城天守閣復興八十周年記念パネル展」を開催します。大阪城の復興当時の様子や天守閣の歴史に関するパネル展示の他、豊臣秀吉が築造した大坂城の模型や、その秀吉築造当時の天守閣にあったものを復元した現在の天守閣にある鯱瓦の復元(レプリカ)なども展示します。
詳しくは↓
http://www.city.osaka.lg.jp/yutoritomidori/page/0000127046.html


↑豊臣秀吉築城天守閣には最上部に金色に輝く一対の鯱瓦があった。昭和六年に推定復元され、平成八年に復元された現在のものは、青銅製の鋳物に金箔を貼りつけたもので、こちらはその原寸大の復元(レプリカ)。


↑一級建築士、馬場勇氏が建築史家宮上茂隆氏の復元設計図を基に完成させた作品で、同氏から大阪市に寄贈された。


「大阪城天守閣復興80周年記念プロジェクト」について詳しくは↓
http://www.osakacastle.net/80th/index.html

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2011年05月09日

「おじいちゃんとこの石段」
パネル展に堂々出展!

大阪市が主催する「都市景観資源パネル展」が、今年も開催されます。この展覧会には、わが八軒家が誇る都市景観、「おじいちゃんとこの石段」こと「八軒家浜船着場跡の近くにある石畳の階段」も堂々の出展です。

「おじいちゃんとこの石段」は、小さい頃この石段で遊んだ著者(松田美和子)の思い出を綴ったエッセイ。当マガジンに掲載されています。

「八軒家浜船着場跡の近くにある石畳の階段」は、中央区の都市景観資源の発掘のため、「わがまち自慢の景観」を募集し、大阪市都市景観委員会の審議を経て、「大阪ガスビルディング」、「法善寺水かけ不動尊」、「御堂筋」などとともに、平成二十二年に都市景観資源に登録された三十件のうちの一つ。だれが名付けたか知りませんが、なんとも色気のない名称。選にあたった大阪市都市景観委員会は、次のように講評しています。


「歴史を刻んできた石畳は、古くは熊野街道の起点であることを彷彿とさせ、またここが上町台地の北端にあり、台地と川との異なる地形の接点であることを教えてくれる。地形の起伏が都心にあって特徴的な景観を作り出し、沿道の建築物の表情とともに心休まるスポットである」(大阪市「中央区の都市景観資源」より=写真も)。

さて、本題の「都市景観資源パネル展」ですが、本年度の第一回は五月十三日(金)から。以下、大阪市のサイトより転載。

平成23年度 第1回「都市景観資源パネル展」を開催します
 景観的に優れた、新しい建物や歴史的建造物、橋や樹木等はいずれも、地域の景観を特徴づける重要な役割を担っています。こうした景観形成上の大切な資源を、一人でも多くの方々に知っていただき、地域の景観づくりの中で積極的に活用していただくため、都市景観資源として登録しています。

 今回、これまでに登録してきたました「北区」、「旭区」、「中央区」、「平成15年度・16年度登録」、合計70件の都市景観資源のパネル展を開催します。

・北区の都市景観資源
・旭区の都市景観資源
・中央区の都市景観資源
・都市景観資源(平成15年度、16年度登録)

開催期間
平成23年5月13日(金)〜5月20日(金) (平日のみ9:30〜17:30)

開催場所
大阪市役所(本庁) 1階 正面玄関ホール

住所: 大阪市北区中之島1丁目3番20号

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2011年04月26日

海と水のものがたり

大阪市立近代美術館では、平成二十三年四月二十九日(金・祝)から六月十九日(日)まで「大阪市立近代美術館展覧会 海と水のものがたり ―シニャック、福田平八郎から杉本博司まで―」を開催します。以下は、大阪市のイベント情報より

  大阪は、古くから海上交通の要所として栄え、江戸時代には経済の中心地として河川や堀川などの水運路を発達させてきました。水が景観の要であり、水と深いつながりがある都市といえます。

 大阪市が整備を進める近代美術館も、「水都」大阪のシンボルである中之島を整備予定地としています。昨年十一月に『大阪市立近代美術館整備計画(案)』を発表し、「水辺の文化都心」中之島の拠点施設として「大都市で暮らす楽しさ、豊かさを実感できる美術館」の実現をめざしています。こうした縁もある「水」が、今回のテーマです。

 この展覧会では、大阪市立近代美術館のコレクションを中心に、十九世紀から現代までの国内外の作家による、水を題材とした絵画、写真、彫刻、版画など、約六十点を展示します。展覧会は二章から成り、第一章では水面のきらめきや波のリズムなど、水そのものの魅力に迫り、第二章では船や港、川の流れる街景など、生活の場としての水の風景に注目します。

 異国の大海原から、大阪の街中を流れる堀川まで―――さまざまな水のイメージによって、水と美術、そして大阪との深く豊かな関係に触れていただければ幸いです。

お問い合わせ
電話06‐4301‐7285
(大阪市総合コールセンター/午前八時〜午後十時 無休)

出展作品より


↑織田一磨《安治川口(「大阪風景」より)》1918年


↑ポール・シニャック《アンティーブ、朝》1919年


↑木谷千種《浄瑠璃船》1926年


杉本博司《カリブ海、ジャマイカ》1980年

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2011年04月15日

かいわい人 国芳

大阪市立美術館で、『没後150年 歌川国芳展』が催されています。この展覧会は、大阪・静岡・京都と続く巡回展の口開け。

↑鬼若丸の鯉退治
2011年は国芳の没後150年にあたります。本展はこれを記念し、国芳の代表的な作品は勿論、これまでの展観では未紹介であった傑作、新発見の優品の数々を含む400余点を展観し、国芳の多様な画業をふりかえり、新たにその全貌を明らかにしようとするものです。今回の展覧会が国芳の魅力を堪能できる稀有で貴重な機会となることは疑えません(国芳展公式サイトより)。

日程は左記の通り。
大阪展:4月12日(火)〜6月5日(日) 大阪市立美術館 ※会期中、展示替えを行います。前期:4月12日(火)〜5月8日(日) 後期:5月10日(火)〜6月5日(日)


ところで、縦書きブログ「大水都史雑記帳」では、すでに、「八軒家かいわい」を描いた国芳の錦絵を紹介していました。せっかくですから、再掲します。


↑歌川国芳「燿武八景 石山暮雪」「鈴木重幸 東風の屋」(写真はウィキメディアより)

嘉永五年(一八五二)、一勇斎国芳五十四歳の作。八人の武将を描いたシリーズの一枚。石山とは、もちろん大坂・石山。われらが八軒家とは目と鼻の先である。武将の名は鈴木重幸とあるが、鉄砲を持っていることや服装から見て、描かれた人物は雑賀の孫市こと鈴木孫市(孫一)で間違いないだろう。孫市は代々受け継がれる名称だったらしく、石山合戦当時は孫市=鈴木重秀説が有力。重幸は候補にあがっていない。それでは、鈴木重幸て、いったい?(津川)

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