2009年07月29日

桜井久之「東区島町発見の奈良三彩小壺をめぐって」

一九八七年発行の『葦火』一〇号(大阪市文化財協会)に掲載された論文です。東区とは今の中央区、島町は詳しく言えば島町一丁目四番三号、つまり当「大水都史を編み後世に伝える会」が入居するキタガワビルの所在地です。


『葦火』一〇号。表紙のカバー写真は、出土した奈良三彩(上)と土師器などの土器片。

この年の五月、建築現場で偶然見つかった古い井戸跡を発掘調査したところ、これが大当たり!八世紀のものと見られる奈良三彩をはじめとして、多数の土器片が出土しました。この調査に携わった桜井久之さん(大阪市文化財協会学芸員)の論文から、興味深い箇所を引用させていただきます。

三彩出土の意味すること
 さて、以下で他の方面の研究から推測される仮説を紹介しておきましょう。
 岸 俊男氏は、かつて宮の北、大川までの間に藤原京と同じように二条分の京城を設定できないかと考えました。もし仮にそうなら、今回の調査地も京城内に含まれることになり、上級官人や貴族の邸宅がこの地に営まれていたかもしれません。
 また、大川に北接するこの地域が水上交通の拠点となる場所であったことは十分考えられるところです。東大寺文書に「摂津国家地売買公験案」(せっつのくにやぢばいばいくげんあん)というものがあり、大川沿いに東大寺の荘園が存在したことがわかります。寺院・神社・貴族たちの多くは、この地に荘園や倉庫をもち、交易や物資流通の便を図っていたことでしょう。今回の調査地はその一角であったとも考えられます。
 当時、水上交通などを管掌したとされる役所に「摂津職」というものがありました。その所在地については明らかになっていませんが、三彩の見つかった井戸からは「摂」と墨書された土器片も出土しており、「摂津職」の所在地を考えるうえで注目されるでしょう。


「東区島町発見の奈良三彩小壺をめぐって」桜井久之

なんと、キタガワビルの建つこの地はその昔、難波貴族の館、あるいは東大寺荘園の倉庫、はたまた摂津職の所在地であったかもしれないというのです。聞くだけでゾクゾクしてきます。この時に発掘された井戸には、捨てられた灰が何十もの薄い層になって重なっていました。層ごとの調査はその後行われることはありませんでしたが、下は古墳時代(五世紀)から上は江戸時代(一七世紀)まで千年ほどの幅が明瞭に観察できたということです。


大阪市の考古遺跡(新修大阪市史・第十巻より)

参考ウェブサイト:
葦火 通巻三〇号〜創刊号(大阪市文化財協会)

『葦火』は 文化財の情報を みなさまにお届けする情報誌です。大阪市内の 最新の発掘成果から
海外の考古学の紹介まで もりだくさんの 内容です。隔月で刊行していますので ぜひ ご覧下さい。
(B5版/8ページ 年間定期購読料¥1,500)

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奈良三彩小壺(ならさんさいこつぼ)
奈良三彩は緑・褐・白の釉薬を掛けた陶器で、中国唐の技術が遣唐使によって伝えられたものである。これらの小壺は難波宮の北西の8世紀後半の井戸と整地層から出土した。奈良三彩は宮殿跡や貴族の邸宅跡などから見つかるが、出土数が非常に少なく、実用品ではない祭祀用のものと考えられる。(大阪市文化財協会)

(津川)

投稿者 tategaki : 13:47| トラックバック (0)

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